8月18日は、普段のカレンダーには特別な印がなくても、実は多くの歴史的な出来事や記念日が重なっている日です。日本や世界の歴史を振り返ると、この日をきっかけに社会や文化が動き出したことも少なくありません。この記事では、8月18日にまつわる「今日は何の日」をご紹介しながら、歴史的背景やエピソードをわかりやすく解説していきます。日々を少し特別に感じられる知識として、ぜひ参考にしてください。
8月18日の主な記念日
日本や世界では、8月18日にさまざまな記念日が制定されています。
高校野球記念日
1915年(大正4年)の8月18日、全国中等学校優勝野球大会、現在の「夏の甲子園」が初めて開催されました。場所は兵庫県の豊中球場。参加校は全国73校から地方予選を勝ち抜いた10校でした。今や夏の風物詩として全国民が注目する大会の原点が、この日から始まったのです。
この大会は「球児の甲子園」として知られ、数々の名勝負やドラマを生み出してきました。野球ファンにとって8月18日は、日本のスポーツ文化にとって大きな節目の日といえます。
ビーフンの日
日本ビーフン協会が制定した記念日で、ビーフンの魅力を広めることを目的としています。ビーフンは米粉を原料にした麺料理で、アジア各地で食べられているヘルシーな食材。日本でも家庭料理や中華料理店で親しまれています。
8月18日を「ビーフンの日」とした理由は、ビーフンの語感が「8(ビ)1(イ)8(フン)」と読める語呂合わせからです。
太閤忌(たいこうき)
戦国時代の名将・豊臣秀吉の命日が8月18日です。没年は1598年(慶長3年)。天下統一を成し遂げた人物でありながら、死後わずか数年で豊臣政権は徳川家康によって滅ぼされました。
秀吉の死は、日本史の大きな転換点でもあります。この日を「太閤忌」と呼び、秀吉の功績をしのぶ日として記憶されています。
8月18日に起きた歴史的な出来事
ここでは、日本や世界で8月18日に起きた出来事を振り返ってみましょう。
南朝と北朝が合体した「明徳の和約」(1392年)
日本の歴史の中で、南北朝時代と呼ばれる時期がありました。後醍醐天皇の流れをくむ南朝と、足利尊氏が立てた北朝の二つの天皇家が対立していた時代です。
1392年8月18日、この両朝の合体を示す「明徳の和約」が成立しました。これによって南北朝の内乱は終わり、天皇家はひとつに統一されます。日本の歴史において大きな転機となった出来事でした。
京都御所炎上(1788年)
天明8年(1788年)の8月18日、京都御所で大火災が発生しました。この火災は「天明の大火」と呼ばれ、京都の町を焼き尽くす大惨事となりました。当時の天皇・光格天皇は一時避難を余儀なくされ、政治や文化に大きな影響を与えました。
ハワイがアメリカの50番目の州に(1959年)
1959年8月18日、ハワイがアメリカ合衆国の50番目の州として正式に加盟しました。これにより、アメリカ合衆国の星条旗は50の星を持つ現在のデザインになりました。
ハワイは観光地としても有名ですが、戦略的にも重要な位置にあるため、アメリカにとって大きな意味を持つ州です。
ソ連のクーデター未遂事件(1991年)
1991年8月18日、ソ連でゴルバチョフ大統領に対するクーデター未遂事件が発生しました。保守派勢力が改革に反発し、政権を奪取しようとしましたが失敗。結果的にソ連崩壊の引き金となりました。
この事件によって、世界の冷戦体制は終わりを迎え、新しい時代が始まったとも言えます。
豊臣秀吉と8月18日の縁
8月18日の出来事で特に注目すべきは、やはり豊臣秀吉の死です。天下統一を成し遂げた英雄である一方、その死後に豊臣家は急速に力を失い、関ヶ原の戦いから大坂の陣へと続く流れが決定づけられました。
秀吉の人生は「一代で天下人に上り詰めた出世物語」として有名です。その命日が8月18日であることは、日本人にとって特別な意味を持つ日といえるでしょう。
まとめ
8月18日は、歴史的にも文化的にも重要な出来事や記念日が数多く重なっている日です。
- 夏の甲子園の始まりを記念する「高校野球記念日」
- 語呂合わせから生まれた「ビーフンの日」
- 豊臣秀吉の命日「太閤忌」
- 南北朝統一、京都御所炎上、ハワイの州加盟、ソ連クーデター未遂などの歴史的出来事
こうして振り返ると、何気ない1日にも多くのストーリーが隠されていることがわかります。カレンダーをめくるだけの日常に、少しだけ歴史を重ねてみると、新しい視点で毎日を楽しむことができます。