日本の歴史 古代日本1300年前の道路

日本の歴史 古代日本1300年前の道路

本日は日本の古代道についてご紹介します。
約1300年前の飛鳥、奈良時代の頃、日本が中央集権国家になっていく過程で
古代道が作られました。

この古代道のすごさをまずご紹介します。
平城京を中心に全国で7本の幹線道路が作られました
すべての道路は、ほぼ一直線に作られています。幅は15mと立派な道路です。

この古代道、なぜ、だれがどうやってつくったのでしょうか?

古代道の作り方

古代道の土木技術はすごいです。

最下層木の枝葉を敷き、層を重ねて作ることで、
水はけがいい、崩れにくということです。
古代道を作るには、3000万人は必要と言われています。

誰が作ろうとしたか?

天智天皇、天武天皇と言われています。
作成した理由は、
・外国から守ろうとしたため
・軍隊を素早く移動するため
・中央集権国家 国家の力を示す

ちなみに、日本という名前は天武天皇のときに制定されています。
この時代の外国との女性ですが、朝鮮半島から日本は撤退し、日本の政府は、朝鮮からの攻撃を警戒していました。

古代道の特徴

・馬を使えば、4日で大宰府から平城京まで行ける。
・古代道と高速道路がルートが似ている。
・高速と古代道の全長は6300~6500kmでだいたい同じ。
日本で、中心都市を結んだ道路を建設する場合、今も昔もこれくらいになるですね~

まとめ

ざっと振りかえりましたが、この時代(奈良)の雰囲気が
この道路だけでも伝わるのではないでしょうか。

近隣の外国に負けないよう、国家としての形、体制を整えるという意思が伝わってきます。庶民は、政府からの指示で動き、きっとかなり疲弊していたでしょうね。。
時代を感じさせます。学校の歴史の勉強では、権力の推移を追うことが多いですが、こういった部分にフォーカスすることで歴史というものをもっと感じられるかもしれません。

この記事は、NHKの「古代日本のハイウエー 1300年前の列島改造」という番組の内容をレビューさせていただいています。

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最後に一句ご紹介します。
大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭

ますらをと、思へる我れや、水茎(みずくき)の、水城(みずき)の上に、涙(なみた)拭(のご)はむ

天平2年(730)11月、大伴旅人(おおとものたびと)が都に戻るときに、
馬を水城(みずき)で止めて大宰府の館を振り返ったときに、
児島(こしま)と言う娘子(おとめ)が大伴旅人(おおとものたびと)との別れを
悲しんで詠んだ歌二首(965,966)への返歌二首の一つです。

どんなに時代は進んでも人間の感情は変わらないですね。心情が想像できます!

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