ヤルタ会談は、第二次世界大戦の終盤、戦後の国際秩序を決定するために行われた歴史的な会談です。1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳がクリミア半島のヤルタに集まり、ドイツの降伏後の処理、日本への対応、国際連合の設立など、戦後世界の枠組みを話し合いました。この会談は冷戦の発端となったとも言われ、今日の国際社会にも影響を与えています。本記事では、ヤルタ会談の背景、内容、決定事項、そしてその影響について詳しく解説します。
ヤルタ会談とは?その背景
ヤルタ会談は、第二次世界大戦の終結が近づく中で、戦後の処理を決めるために開催されました。この時点で、ドイツは敗北寸前、日本も劣勢に立たされていました。連合国は、戦後の枠組みを整え、平和を維持するために協議を行う必要があったのです。
会談の参加国と首脳
ヤルタ会談には、以下の三国の首脳が参加しました。
- アメリカ:フランクリン・ルーズベルト大統領
- イギリス:ウィンストン・チャーチル首相
- ソ連:ヨシフ・スターリン
この三者が集まり、戦後の世界秩序を決める重要な合意を交わしました。
ヤルタ会談の主要議題
ヤルタ会談では、以下の主要議題について議論が交わされました。
1. ドイツの戦後処理
ドイツの無条件降伏はすでに決定事項でしたが、戦後の処理方法について話し合われました。
- ドイツの分割統治:ドイツをアメリカ・イギリス・ソ連・フランスの4カ国で分割統治することを決定。
- 戦争賠償:ソ連は大きな被害を受けていたため、ドイツからの賠償を要求。
2. 日本への参戦
- ソ連は、日本との中立条約を結んでいましたが、ヤルタ会談でドイツ降伏後90日以内に日本へ参戦することを約束しました。
- その見返りとして、満州や千島列島などの領土の譲渡が認められました。
3. 国際連合の設立
- 戦後の国際平和を維持するため、国際連合(UN)の創設が決定。
- ソ連は安全保障理事会の拒否権(Veto)を確保することを要求し、これが認められました。
4. 東欧諸国の処遇
- ソ連がすでに占領していた東欧諸国の自由選挙の実施が約束されたが、スターリンは共産主義政権の樹立を進め、冷戦の発端となった。
ヤルタ会談の影響と評価
ヤルタ会談の決定事項は、戦後の世界に大きな影響を与えました。
1. ドイツとヨーロッパの分裂
- 会談で決められたドイツの分割統治は、最終的に東西ドイツの分裂につながり、冷戦の要因となりました。
2. ソ連の勢力拡大
- ソ連はヤルタ会談での合意を基に東欧諸国を共産圏に組み込み、西側諸国との対立が深まりました。
3. 日本の戦後処理
- ソ連の対日参戦により、日本はさらなる圧力を受け、原爆投下とソ連の侵攻の結果、1945年8月15日に降伏することになりました。
- また、ソ連の参戦をきっかけに、日本は北方領土を失うことになります。
まとめ
ヤルタ会談は、第二次世界大戦後の国際秩序を決定づけた歴史的な会談でした。アメリカ・イギリス・ソ連の三首脳によって、ドイツの分割統治、日本への参戦、国際連合の設立が決められました。しかし、会談で決まった事項の多くは、冷戦の原因となり、世界を東西に分断する結果を招きました。現在でも、ヤルタ会談の決定がもたらした影響は、国際関係において重要な意味を持っています。